登場文学者の図書案内その1  
                        
庭 冬明    kotennoshiomiteibo          左手に見えるのは、荒天の塩見堤防  

                   

                                                の1        

 定宿の近くということもあって、この塩見堤防にはきまって訪れる。塩見堤防は館山から洲の崎方面に行き、定置網漁船の係留されている香(こうやつ・香谷とも表記する)の堤防からひとつ先の堤防で、漁船が十隻にみたないちいさな堤防は、北風もしくは北西の風が吹くと、たちまち白い飛沫で覆われてしまう。塩見漁港の砂浜を囲っている小規模なこの堤防は、右に館山湾を抱く大房岬を望み、正面には遠く霞む三浦半島がある。風の強い晴れた日には思いがけなく富士山が望めた。東京湾に面しているので穏やな表情をみせていることが多い。ちいさな堤防は三、四人も入ると一杯になってしまい、週末は釣り座を確保するのが一苦労。メジナ黒鯛狙いの浮釣り、ルアーフィッシイングでスズキやイナダなど回遊魚を狙う釣り人も入ってくる。

  館山市塩見付近
塩見付近地図

 シロギスの魅力に惹かれたのはもう三十年ほども前で、三浦半島を中心に砂浜を投げ歩いたものだった。しかし釣り友達が転勤してから相手もなく止めてしまっていた。妙なことから釣りに興味を持ちはじめた家人にせがまれ、久しぶりに竿を握ることになったのだ。
 海中からあがってくるシロギスのほっそりした姿態は美しい。細長い魚体はすきとおるように白く、微細な一面の鱗が虹のようにきらめき、ぬれて光る目ははじらいをみせ、まさしく海の女王といった気品を備えている。跳ねながらあがってくる魚体を掌で包むと、動きと共に海の冷たい感触が伝わってきて、荒々しい海を生き抜いてきたシロギスの生命が弾けるようにきらめく。その美しさに魅せられシロギス釣りに夢中になったといってよい。

外道のキュウセン                外道のキュウセン(ベラ)

 「あたり」を待つ時の気分はいいものだ。竿にあたりを感じてそろりと糸を巻き上げていく時や、銀鱗の輝く魚体が見えてきた時のわくわくした気持は釣り人でなければ味わえないだろう。外道にメゴチやベラ、カサゴなど雑多なものが釣れてくる。なかでも灰色の魚体からぬめりを出し二本の棘のある背びれを立てて暴れるメゴチは厭な奴である。だがこれは天ぷらにすると美味なので苦労しながら針をはずしクーラーに納める。メゴチは一名ネズミゴチともいう。あまり投げの距離がでない家人は、堤防の根まわりを釣るのでアイナメやキュウセン、ウシノシタのたぐいを釣りあげるが、それはそれで結構楽しいらしい。いまでは餌のジャリメを針につけることも出来る。


                                                    その2  

 平成八年六月。その日、半年ぶりに、……正確に言うと七ヶ月ぶりに立つ塩見堤防は、穏やかさをなくしていた。堤防先端の外側部分に沈めてあるテトラポットは引潮で露呈していたが、押し寄せる波が砕け、白い飛沫をしきりにあげていた。北西の風だとこの堤防はまともに波風をうける。海水にも濁りが出てきているようだった。シロギスの最も嫌うものだ。気持ちのせくままに竿をセットして、第一投を済ませる。10号のおもりをつけた仕掛が遠くにのびて海面から沈んで行く。この瞬間のときめきはなにものにも替えがたい。

 塩見堤防を内側から望む

堤防内側からの塩見堤防 こじんまりとした塩見漁港の浜には幾艘もの漁船が引きあげられていて、無人の小屋には漁具が乾かされているのがみえた。これも以前と変らない風景だった。前にきたのは平成七年の十一月はじめの頃だった。その時には堤防内側の藻まわりで、シロギスを入れぐいで二十匹ほど釣ったことが思いだされる。梅雨の厚い雲間から洩れる陽光にきらきら光る波の反射をみつめていると、いま生きているという実感があった。
 その釣行から帰った年末の検診で思いがけなく結腸腫瘍が発見され、明けて一月早々に入院、摘出手術をうけて、二週間おきに通院している身だったが、苦しい病床での思いはいつも塩見堤防にかえっていった。体力に自信はなかったが、術後半年なのだが、思い切ってやってきたのだ。
 早暁、六時の検温で起される病床から見えるのは、濃い藍色よりさらに深い朝の闇だった。仰臥して身体を管でつながれ動くことも出来ず、一面の空が闇にあふれているのをみつめ、それがゆっくり濃紫の色とまざりあい、徐々に明るくなっていく。途方もなく長い時間を耐えていると、塩見堤防でみた大洋のかぎりなく輝く青の色が思い出され、そのまばゆいばかりの時をふたたびと、思わないではいられなかった。

 投げ釣りは、竿の反発力を利用して仕掛を遠くに飛ばす釣り方なので、腹筋を思いのほか使うことになる。下腹や腸を縫合したところが、どうなるかと不安がつきまとったが、投げてみると案外大丈夫のように思えた。
 道糸が波に叩かれて竿頭が動く。あたりはよく分らない。風はすこし強くなったようだ。一時間が経ったが、なにも釣れなかった。小さなクサフグに時折糸を切られた。手持ちの竿の他に一本竿を出して先端から投げ、置き竿にした。あげ潮三分で喰いのたつ時間だった。家人は黙々と竿を動かし、餌を取り替えている。ようやくホウボウのちいさいのをあげた。水平線から寄せてくる波は幾重にもなってあげ潮の勢いとともに押し寄せ、飛沫を散らしはじめた。

外道のクサフグ                        外道のクサフグ

 「ひきあげましょうか。明日一日あるのですもの。焦ることはありませんよ」
 家人が声をかけてきた。
 「うん」
 そういいながらなかなか思いきれない。荒くなった波が糸を叩き竿の先端を震わせている。
 沖から漁船が戻ってきた。やはり波が高くなったので帰ってきたのだろうか。

パールピンクに輝くシロギスパールピンクに輝くシロギス

 突然、置き竿がすごい勢いで堤防を走り、海面に落ち波間を動いていった。
 (しまった)風でたるみ舟道にのびている糸を、帰ってきた漁船がひっかけたのだ。釣り人のエチケットとして舟が通る場合には、ただちに仕掛をあげなければならないのだ。竿はどんどん遠くに動いていき見えなくなった。大事な竿をうしなった失敗に家人と顔を見合わせた。(あきらめるしかない)堤防を迂回するように廻り、漁港に入ってこようとしていた漁船が突然とまった。漁師は舷をしきりにのぞき、やがて船を後退させた。ひっかけた糸がどこかに絡みついたのだ。漁師は船を沖へと後退させると、そこで船尾にかがみこみ、スクリューをあげるとなにかしはじめた。風で船が揺れている。スクリューに釣り糸が絡んでしまったらしく、糸をはずしているのだった。
 「大変なことになってしまったな」
 ぼんやりしていたために、漁師に迷惑をかけてしまったのを悔やんだ。
 「怒られるわ、きっと。謝らなくてはね」
 家人は気を揉んでいた。
 「とにかく納竿にしよう」
 漁師の方をみながら、竿のかたずけをすませ荷物をまとめた。しかし漁師はまだスクリューの糸を丹念にはずしつづけている。船はどんどんと沖に流されていた。三十分がたち、ようやく漁師はスクリューを海面に入れるとエンジンをかけた。走り出した船はスピードをあげると堤防の内側に廻りこみ、弧を画くと船尾を堤防につけた。走り寄って大声を出して謝った。漁師はなにも言わない。黙ったまま海水のしたたる竿とからまった道糸のかたまりを差し出した。漁師の表情は分らない。鈴丸という名前が読めた。
 「ご迷惑かけてすみませんでした」
 家人が再度謝った。
 「竿はね。穂先が駄目だよ。けんど香(こうやつ)の釣具店で直してくれっから。三百円くらいだね」
 漁師はそんなことを何度もぼそぼそと言った。
 いきなり怒鳴りつけられるとばかり思っていたので、ほっとして頭をさげると和んだ気持ちになり宿に引きあげた。五時半になっていた。

香堤防 となりの香(こうやつ)堤防  定置網船がみえる

 宿は道路に面した傾斜地にあり、二階の部屋からは塩見の堤防が下に眺められる。だから朝めざめるとカーテンを開け、堤防の様子をみるのが習慣になっていた。休日ともなると早朝から釣り人が入り、狭い堤防に後から入るのを断念しなければならないことがしばしばあった。今回は週日なのでその心配はなかったが…。夜は雨になった。予報では強風注意報が出ている。下腹がすこし痛んだが癒着の痛みかも知れなかった。
 早朝、めざめてカーテンから海を覗き()と声をのんだ。一面に白波がたち騒ぎ、堤防は飛沫をあげている。家人は暑くて四時頃にめざめて窓を開けたところすごい潮騒がしていたと言った。空は明るいのだが風が強い。
 当日の日記にはこう記されている。
 (天候はあやしく海も荒れていそうだが、食事を済ませると早速に塩見堤防に赴いた。いまにもひと雨きそうな雲と強風に荒れる波の堤防で釣りはじめたが、やはりあたりもなく状況はひどく悪い。おもりは流されるし、海藻に絡み餌はだいなしになってしまう。ふいに急な風で倒されそうになる。午後一時頃にはしたかなく断念し竿をしまった。メゴチ二匹、カワハギ一匹小アイナメ一匹という釣果も、この天候ではよくやったととも言える)。その後、北西の風に強い釣り場を探して、洲崎西港、北港とまわったが、釣りのできる状況ではないので、四時に宿に戻った。風は依然として強く、雲が早く流れていて、予報では明日も風がつづくと報じていた。帰りの日になるので、午前だけが釣りの時間だったが、この日も海は泡立ち、荒天で潮騒がすさまじかった。塩見の堤防は飛沫が高くぶちあたり、その都度海水が滝のように堤防上から流れ落ちている。漁船はもちろん出ていない。

 宿をチェックアウトしてから未練がましく塩見の海岸に車をとめ、その光景を眺めつづけた。
 「今回はさんざんだったなあ。ひさしぶりだったのに」
 恨み言を洩らすと、家人はうなづいた。
 「だけど鈴丸の漁師さんのような人に会っただけでもよかったわ」
 赤銅色の朴訥な顔が浮かんだ。鈴丸は堤防に内側に係留され、波に揉まれている。
 「それに、以前のように釣りができるという自信がついただけでもよかったんじゃないの」
 家人の言葉に、途方もない長い時間に思えたあの濃い藍色のよりさらに深い朝の闇が思い浮かんだ。


                                     その3

 宿に泊まっている間、きまって早朝、カーテンをあけ堤防に誰もいないことを確認してほっとする。しかし、いち早く食事を済ませ、堤防に着くまでは安心できない。気もそぞろに家人と前後になり堤防に急ぐのだ。週末にかかっての釣行では、早朝から数人の釣り人が入り込んでいることが多いので、そうなるとがっくりする。せっかく狙ってきたのに、他の釣り場を探さなければならないからである。

塩見堤防付近のタチアオイ                  塩見堤防近く咲く タチアオイ

 ある年、初夏の頃だったと記憶しているが、その朝カーテンから覗くと、ひとりの小柄な釣り人が陣どっているのが見えた。家人が覗いて「あら、いやだ。もうきている。女のひとのようよ」と声をあげた。遠目には男女の判別がつかないのだが、家人にはその動きで女性と分かるらしい。
 「香(こうやつ)のおばあさんらしいわ」
 家人はなつかしそうに声をあげた。
 やはりその釣り人は《香(こうやつ)おばあさん》だったのである。 塩見にある二階堂釣具店の主人から、八十歳をすぎて東京から週末にシロギス釣りに通うおばあさんの話を聞いていた。おばあさんは不動産業を兼業している二階堂釣具店に探してもらい、香(こうやつ)漁港近くに家を借りてしまったのだ。釣りキチもこうなると本格的である。だからシーズンともなると土曜日毎に電車できて、二日の間に釣りをして日曜日の夕刻に帰京する。香(こうやつ)おばあさんと私たちは呼ぶようになった。そんなことができるなんて、羨ましいかぎりである。
 釣り好きで、定年後に相の浜漁港近くに引っ越ししてきて、毎日釣り三昧の生活をしている人の話を聞いたことがあるが、誰もそこまではなれないだろう。

 香(こうやつ)おばあさんの竿は短い。初めての出会いに、その竿をひゅっと鳴らすと、仕掛けは思いのほか遠くに飛ぶので、初心者に近い家人はただ驚くばかりであった。その竿を駆使して大型のシロギスを釣っている。
 初めての出会いは、塩見の隣にある香(こうやつ)漁港の高い堤防だった。外側の堤防が内側より大人の胸ほど高くなっているが、板切れを足がかりに素早く這いのぼって、あがりさがりするのに、びっくりしたものだ。高齢とも思えない足腰の動きだった。私でも両手を堤防の上にかけ、膝をテコに弾みをつけヤッと力をこめなければ登れない。家人が海蛇を釣りあげ、ギョッとしていると、素早く降りてきて、海蛇をハサミで切り裂き針をはずしてくれたのもこの時だ。昼ごはんの時間なので、持ち合わせたむすびをすすめると、喜んで喰べてくれた。

 家から釣具だけをもって釣りに出ているらしく、やはり空腹だったのだろう。

潮のひいた塩見堤防  潮の引いた塩見堤防付近
 その日、塩見の堤防にあがっていくと、香(こうやつ)おばあさんが手をふって挨拶した。昨日ここに入ったわたしたちは、結構いい釣りをした。夕方、氷を補充しに二階堂釣具店に行った時、そのことを話したのだが、すぐに東京のおばあさん宅に連絡したとみえ、ゆうべ館山にやってきたと言った。
 (どのポイントだったの)
 おばあさんはしきりに尋ねるが、こちらもあまり教えたくないところがあるので曖昧にする。
 (いまは潮まわりがわるいようね)
 おばあさんがひとりごとを言う。穏やかな日だったが、潮が澄みきっていたせいでなのか。わたしたちにもあたりがあまりない。釣れるのはちいさなメゴチやキュウセンである。餌取りのクサフグにも悩まされる。このクサフグが釣れるようになると、糸を切られて仕掛を台無しにさせられ、挙句の果て場所替えを迫られたりする。しかし怒って魚体を膨らませ、キューキュー鳴くさまは愛嬌があり、思わず笑ってしまう。

(息子がね。ゆうべここでクロダイを狙っていたけれど、いまボートで沖のコチ釣りをしているのよ)
(息子さんも釣りをなさるのですか)
(二番目の息子だけれど)

そういえば、昨夜、窓からみおろす遠い堤防に、灯がちらちらしているのをみつけて、不審に思ったものだった。
 (釣れたんですか)
 (一枚も釣れなかったそうよ。ばかみたいね)
 おばあさんはひとごとのように笑い声をあげた。
 狭い堤防で、おばあさんは家人ととりとめのない会話をしていた。それによるとおばあさんは二年前、夫を病気で失なったそうである。生前の夫はゴルフばかりで、釣りには見向きもしなかったので、一緒に釣りにきたことはないと言い、しきりにわたしたちを羨やんだ。

夫の死後、息子がレストランの事業を継いで営業していて、おばあさんはそのレストランの会計係をしているという。会計には計算機があるが、自分はそれを使わず仕事をしていると誇らしげに言った。週末にしか海にこられないのもそのためだと、残念そうに笑った。
 (二年前というと、わたしたちが初めてお目にかかった年ですね。)
 家人は香(こうやつ)の堤防を思い浮かべたらしかった。その年は家人が投げ釣りをはじめた年である。
 わたしはたちはその日の午後三時、帰京のために渋々納竿して、浜に止めてある車の中で、遅い食事をとったが、おばあさんはまだ堤防に腰を据えていた。
 (朝早くから食事も水もとらず頑張っているのにはびっくりするわ。八十を過ぎたお年寄りとはとても思えない)
 (年なんだからね。ちょっと心配だよ、脱水症状を起しかねないな)
 わたしの言葉に家人は不安な表情を浮かべた。
  (持っていってあげようかしら。まだクーラーには缶ジュースが残っているでしょう)
  そそくさと砂浜を回り堤防にあがっていった家人は、しばらくすると汗をかきながら、戻ってきた。
  (とても喜んでいたわ。寿命がのびたと言って。でも凄いおばあさん)
  (ぼくたちもあのような元気を授かりたいね)

塩見堤防内側                         塩見堤防の内側

前にも記したことがあるが、わたしは病を得て入院手術をしたことがある。健康がいかに大事かを思い知らされた。その病から立ちあがろうと療養をしはじめながら、いつもわたしはあの香(こうやつ)おばあさんの敏捷に竿をふる姿を脳裡に浮かべた。手術のための障害に悩み、再発への不安を抱きながら生きる自分は、これからいかなることがあってもあのように生きることは出来ないのではないかと思ったりした。
 生きる力が欲しいと思ううちに、広い海原に向いあうことによって、そこから生きる力を得られるような気がしていた。
海は再生への無限な力を持っているにちがいなかった。
 そして術後半年の検査では異常なく、順調に恢復しているようなので、思いきって塩見堤防を訪れたのが、昨年のことである。梅雨明け近い天候不順な頃だった。このことは既に書いた。
 海は生憎荒れていて、思うような釣りができなかったが、光にきらめき、光を包み込んだ濃い青の見渡す限りの海景に染まりながら、生きているということに胸をふくらませたのだった。

 シロギス釣りはまだ盛期ではなかったので、その時は香(こうやつ)おばあさんに会うことは出来なかった。


                                     その4

 平成十年五月中旬、待ちかねて今年初めての釣行に出た。横浜横須賀道路から久里浜フェリー港へ十二時に到着、金谷行きに乗船する。晴れてはいるが南西の風が強く白波が立ち、かなりの揺れを感じ今日は釣りにはならないと落胆するが、気を取り直し館山に車を走らせる。ひどく蒸し暑い日でクーラーを入れて走り、午後三時前に塩見に着いた。
 堤防に出てみるがやはりひどい風である。堤防に飛沫がかかるほどではないので、竿を出してみたが、道糸が海面に叩きつけられ、あたりが全然とれない。小キス二匹メゴチ一匹の貧果で、早々に引き揚げることにした。それでも家人は堤防から携帯電話で家と話が出来て満足のようだ。以前に
PHSを持ってきたがつながらず落胆していた。この堤防は低いので風に弱いのが困りものだ。とくに北西の風になると釣りにならない。
 どんな風にも対応できる大きな堤防をホームグラウンドにすればいいのにと、よく言われるが、釣りにならない日があったり、それほど釣果があるわけではないのに、塩見堤防を離れられない。どこか惹かれるものがあるのだろう。

東京湾を走るフェリー 東京湾を走るフェリー

 私たちの定宿は実をいうとNTTの保養所「房南荘」である。しゃれた二階建てで傾斜地にあるその二階の202203号室あたりにいつも泊まる。そこからは塩見の堤防が蘇鉄や篠笹の茂ったむこうに望めた。窓を開け放ち風を入れると、海岸地なので意外に涼しい。塩見堤防の先の海原のはるか遠くに三浦半島が横たわり、東京湾を隔てているのに久里浜の火力発電所の塔がはっきりと見えていた。海に近いあたりには幾筋かの雲がかかっている。
 「あれは富士山じゃないかしら」
 家人の言葉に目をやると、三浦半島が切れこむ城ヶ島の椀を伏せた形の先に、遠く青みをおびた富士山が聳えあがっていた。端正な冨士山を館山の地から望めると思ってもいなかった。陽が落ちかかり空を彩りはじめる。息絶えようとする陽は空をまさぐるように舐め、あえやかな青紫のガラス細工のようにきらめき、光に刺された筋雲ははじめ鮮やかなピンク色に染められ、次第に色を深くして深紅の花びらとなって萎えていき闇に消えた。聳えている富士山もその変化につれ赤々と縁どられ光を纏いつかせながら、やがて闇に溶けていった。華麗で荘厳な一刻、
遠くで光がまたたきはじめた。三浦半島に点在する燈台である。間をおき点滅するのは城ヶ島の安房崎燈台、半島先端の劍崎から観音崎燈台と見てとれる。眺めているだけでも神秘的で心が和んだ。

 翌朝、午前九時二十分セブンイレブンでむすびとお茶を買い、塩見堤防に入る。風は止まず潮もかなり引いているので状況はよくない。予定の十二時まで小ギス一匹ベラ一匹。まだ水が冷たくシロギスは岸に寄ってきていないようだ。

館山漁港のくろしお丸                  那古船形漁港の乗合船くろしお丸

 昼食をとり十二時半に那古船形港に向かった。小型の船に乗るのが怖いという家人にいかにシロギスの大物が釣れるかを強調して、やっとその気にさせたのだ。館山フィッシングセンター黒潮丸は午後からシロギス乗合船を格安で出船させている。波がうねるのが心配な家人が、船主に尋ねると湾内だからと言われ安心したようだ。午後一時半の出船前に酔い止めを一錠ずつ飲んでおいた。

 館山湾内大房岬までの近場を流し釣るのだが、やはり水深があるので型のいいのが出る。湾内といっても時折大きなうねりがあり、船は揺れるが酔うこともなく五時二十分まで夢中で釣る。シロギスは十八センチほどを含め三十匹あまりとホウボウ、カワハギなどの釣果に、家人は明日も乗りたいような口ぶりだったが、明日は船頭が医者に通う日なので出船しないと言われがっかりする。六時二十分頃に宿に戻った。

 次の日は素晴らしい天気となった。もう一泊して今日は終日堤防で釣る予定にしたが、堤防に来てみると誰も入っていない。潮が澄みきって底までが透明にみえ、それに引潮がすすんでいてちょっと不安になる。風もあまりない穏やかな日和なので竿を入れ、のんびり魚信を待つことにした。しばらく待ったがあたりはほとんどなく、苛烈な陽に日干しになりそうになりながらの釣果は小ギスを三匹ほど。パンをかじりウーロン茶を交互に飲み食事を済ませた十二時頃から、北よりの風が強く吹き出し波立ちはじめた。風はなお強くなり、波は道糸を叩き、釣りどころでなくなったので断念して、車を走らせる。北風を避ける釣り場を探して外房の千倉漁港にまわった。港内はあまり波がなく格好の釣り場なのに、メジナ狙いのほかに釣り人はいない。とにかく釣ってみることにして竿を入れた。港口方面に投げてそれでも小ギスを三匹。朝からなにも釣れないので家人はご機嫌斜めである。

 午後六時、宿に戻り夜は寝ころびテレビ放映の「釣りバカ日誌スペシャル」を見る。この主人公はよくよくの釣りきちがいであるが、私たちも小さいシロギスしか釣れないのに、日を費やし堤防でがんばるのは何故かと自問自答するが、思い付く答は見つからない。

 早暁三時に地震で起され眠れないままに朝を迎えた。引続きよい天気なのに帰途につく日である。だが青イソメが残っているので、午前中という約束で香(こうやつ)堤防に行ってみる。土曜日なので香(こうやつ)おばあさんは来ているかも知れないと思ったからでもあったが、姿はなかつた。堤防では定置網の母船の改修工事がなされていて、先端の好釣り場に大量の魚網が置かれていて入れない。やっと思い切りができ餌を処分して午後一時半に納竿。慌しく過ぎたわが釣りバカ日誌である。 


                            その5

漁港風景漁港風景

 房総半島先端に近い塩見堤防で釣れる魚というと、砂地に棲むシロギス、マゴチ、メゴチ、カレイ、ヒラメ、イイダコ。岩場に隠れひそむメジナ、ベラ、カサゴ、アイナメ、メバル、カワハギ、クサフグ。回遊魚のクロダイ、スズキ、アジ、イワシ、サヨリと名前をあげていくときりがない。なにしろ外洋につづく海辺なのであるから、どんな魚が釣れても不思議ではない。洲崎沖では黒潮に運ばれた珊瑚が繁茂しているそうである。それらの魚がすべて投げ釣りでゲットされる訳ではない。回遊魚は滅多に釣れないが、どんな魚でもなにかの拍子に釣れてくることがあるのだから面白い。シマアジの幼魚が針がかりしてきたこともある。歯の鋭いウミヘビが釣れることもある。雑巾のように重いタコがかかり手こずったあげく逃げられたこともある。針に毒をもったミノカサゴやハオコゼ、どじょうのようなギンポという魚もいるので、不用意に手で掴むと大変なことになる。毒はなくとも鋭いトゲをもつ魚も少なくない。そこで得体の知れない魚は、必ずメゴチばさみで針をはずし、鳩首して魚名を確かめるのである。

 ゴンズイという、小鯰のような形で口と下顎に二本づつの髭をもち黒褐色の身体には横に黄色の二筋の帯が走る、ちょっと気味の悪い魚がいる。この魚は第一背鰭と胸鰭に毒のあるトゲをもち、これに刺されると激痛を起す。ふだんはあまり釣れないのに、海が時化模様のときにはいくらでも針がかりしてきて、時には一荷でかかり、毒トゲに触れることなく糸を切りリリースするのに苦労する。ゴンズイはいつも群れで遊泳しているためで、時化の後の晴れた日の潮だまりに取り残された群れが泳いでいるのを見つけ、ぞっとした思い出がある。

 そのゴンズイが美味しいものらしいと知ったのは岩本隼著「ゴンズイ三昧」副題房州香(こうやつ))漁師町暮し(新潮社・平成8年刊)からである。塩見よりひとつ館山寄りの漁港であり、著書の表紙裏に描かれている付近のイラスト地図で、香(こうやつ)付近の大まかな様子を知ることができる。岩本氏は放送関係に勤めてのちにフリーライターなどの仕事をしていて、若い頃から香(こうやつ)の海の魅力にひかれ三十余年、移り住み十余年のプロ漁師に近い生活をしているひとである。著書はこの周辺の若い漁師たちとの海を通じての交遊を生きいきと描いている。

 新潮社版 「ごんずい三昧の本ゴンズイ三昧」の表紙

 「ゴンズイ三昧」の章を引用させてもらうと、昔からゴンズイ獲りの方法は海中のタナに網を張りめぐらせ、網の袋の部分にゴンズイを追いこんで獲るのだが、いまはもっと手軽にタコ籠を利用して獲るそうである。タコ籠は箱型の針金の枠に張ってあるビニール網の二面がクサビ状に内側に切れ込んでいて、タコがいったん入ると出られなくなる仕掛になっている。夜、そのタコ籠にオキアミを入れ沈めておくとごっそりゴンズイが獲れるそうだ。仲間のイサオという漁師がゴンズイ汁をご馳走してくれると言い、そのタコ籠漁で七十匹のゴンズイを獲り料理してくれる。料理の仕方は三本の毒トゲをハサミで切り落し、塩で揉んでヌルを落し腑を出す。それを大鍋で煮た南瓜のなかに丸のままいれて味噌を加えると出来あがりである。

 七十匹のゴンズイ汁をうまそうにたいらげてしまう、イサオや岩本氏のありさまを読むと、ゴンズイ汁が淡白でありながらコクのあるだしのうまさが想像できて、思わず唾を呑込んでしまう。ハタハタのような味か、それともオコゼの軽いうま味に似ているのかと推量し、時にはゴンズイの釣れてくるのを期待したりするが、毒トゲの処理には自信がないし面倒なのでリリースしてしまうだろう。

 「ゴンズイ三昧」にはまたフグを喰べる話がある。ヒガンフグと呼ぶ三十センチほどのフグで卵巣、肝臓に猛毒を持つ。皮と腸は強毒、このヒガンフグはマフグの異称のようであるが、それをイサオが三十匹ほどをさばき皮を剥いた身と白子でフグチリにしてくれる。フグサシは醤油の味しかしないので旨くないそうで、やはり身と白子と豆腐それに長葱を鍋に入れるフグチリが最高だといって、みんなを集め贅沢なフグチリパーティを開くのだ。だがものの本には精巣は弱毒、肉は無毒とされてきたが弱毒をもつ個体もあると書かれているのに、一向に気にしないので岩本氏はビビってしまったようだ。

 ところで塩見堤防で釣れてくるのはせいぜい十センチほどのクサフグで、毒性が強く喰べられない。いつの場合も潮まわりが悪くなりなにも釣れなくなると、クサフグの登場である。そうすると場所替えを余儀なくされる。クサフグは歯が鋭くガツンとあたりがあり、ふっと手ごたえがなくなるのは糸を切って逃げるからだ。釣あげても針を飲みこまれていると、針を呑んだままのクサフグをリリースするしかない。ちいさな胸鰭をチョコチョコ動かして海中に消えて行くのを覗きこみながら、家人はちゃんと生きていけるのだろうかと、その都度気を揉んでいる。

 この堤防で釣れたことがないが、もっとカラフルなキタマクラというフグがいる。体長ほぼクサフグと同じくらいで、これも毒があり食用にはできない。キタマクラとは喰べると枕を北に向けて寝かされるぞという意味である。野島崎燈台の近くにある相の浜堤防ではこのキタマクラがよく釣れてきた。しかし「ゴンズイ三昧」にでてくる漁師の名人ヒデさんはこのキタマクラだって喰べるという。「出刃で頭を半分まで切って皮を剥くと、肝まできれいに取れる。おつけのダシにうまいよ」というのだ。

 この「ゴンズイ三昧」には、なんといつも宿にする「房南荘」のことがでてくる。香(こうやつ)漁港の網元である山海丸の親方は定置網や刺網の漁をしながら民宿も経営していたが、孫のできた息子にゆずり引退したあと、NTTの房南荘の所長になったのだそうだ。その頃にいちど私もフロントで顔を合わせた記憶があるが、その翌年に所長は食道にポリープがあることが分かり、鴨川の病院に入院し手術をした。悪性のものではないので経過がよかったのだが、突然なくなったのだ。
 いまの所長は山海の親方と同じ姓で「ゴンズイ三昧」の記述から推量すると血縁関係の方のようだが、あらためてそんな事を聞くに至らずにいる。所長は痩せ型の苦みばしった長身で、いつもものしずかで忙しく立ち働き裏方に徹している。やはりフロントは女将のもので、色白の平安女人を思わせるおっとりした女将は花好きらしく玄関の下段はいつも華やかに彩られている。だから家人は宿泊するたびになにかしら花をもらって帰る。この度はトルコ桔梗とミントの束をどっさりもらってきた。

          ごんずい三昧イラスト「ゴンズイ三昧」の本文イラスト(作場知生・画)

 房南荘の真向かいに「多津味」という暖簾をかかげた店があることは、行く度に見ていて知っていたが、「ゴンズイ三昧」にはそのことも描かれてる。そして「多津味」はこの地区の漁師たちがなにかというと集まる酒場のようだ。初夏の頃そこでマンボウの刺身を喰べる話はよだれがでてくる。マンボウの筋状の肉をイカソウメンのようにほぐし、肝で溶いた酢味噌につけて喰べる。イカとも糸コンニャクとも違う微妙な歯ざわりが何ともいえないそうだ。漁が珍しいマンダイまたの名をアカマンボウを喰べる話もある。刺身にすると鮮やかなピンク色をしていて、味は大トロのようだという。家人にその話をすると一度行ってみたいと言うが、生返事をしておく。

 宿では夕食が用意されている。食事を断わっておいて「多津味」に行ってもいいが、いちげんの客なので断わられるのではないか、勘定はどのくらいになるのか等と考えると、面倒くさくなってしまうのである。それに正直言って昼間竿を振りつづけた疲れと、明日の釣りで頭がいっぱいなので、その余裕がないところが本音である。

 平成十一年七月上旬、私たちはほぼ一年ぶりに塩見堤防を訪れた。折からの梅雨期で雨がつづいていて、明日は出発だというのに九州では大雨被害が続出していた。その雨雲が明日関東にくるというのでおもいあぐねたあと、一日延期することにして宿に了解を得たのだが、明けてみると予報とは大違いで青空が拡がりはじめ終日晴れあがり、地団太踏む口惜しい思いをした。翌日は曇りに逆戻りして東京湾フェリー金谷港に着いた頃には細かい雨が降っている始末。今度の釣行は雨にたたられるのかと溜息をつきながら、国道127号線を南下していくと、なんと次第に雲が薄くなり明るくなってきたではないか。房南荘にチェックインして早速、塩見堤防に向ったが、いつも駐車している広い砂地は工事の車で埋めつくされている。よくみると左手の民宿が四階建てのビルを建築中なのだった。足場を組み築かれている高い建築物は、空に突き刺さるかのようだ。

 仕方ないので海岸の急な砂地に車を乗り入れて堤防に向った。堤防の先端には三人ほどの釣り人が入っている。月曜日なので釣り人のいたためしはないのにと、首をかしげながら挨拶をして内側に入った。釣り人たちはいちように同じ服装をしている。釣果はあまりよくなく、ヒゲをはやした青年のバケツには二、三匹のシロギスがのぞいている。沖合から吹いてくる北西の風が強くなってきた。この堤防は北西の風に弱い。潮はあげに入っていた。波でおもりが流されているようだ。あたりはとれない。三人の男たちは仲間で、ヒゲの青年がリーダーのようである。家人が話しかけその三人はいま民宿ビルの建設現場にきているのだと分かる。ビルは全室二十と規模が大きく八月に竣工とのことである。ヒゲの青年は竿を手にしながら携帯電話で仕事の話をしている。四時半頃そのうちのひとりが仕事に戻っていったので、その後に入り沖目に投げてようやくシロギスをあげた。夕凪きを待ったが風は止まない。午後五時のチャイムが浜に響き、それが合図かのように工事現場から四、五人の青年ちたちが堤防にやってきた。ヒゲの青年の仲間なのであろう。このちいさな堤防にこんなに入っては釣りにならない。家人に合図して五時半に納竿し宿に戻った。

漁港風景2

漁港風景

 のんびりと釣ろうと思っていた家人は、塩見堤防が作業服の男たちに占拠されたことにひどくオカンムリだった。あのひとたち仕事をさぼって釣りなんて許せない。明日も釣りにくると言っていたから、あのひとたちより早く行って場所を確保しなければ駄目ね。民宿も民宿だわ。あの景観に高いビルを建てる神経が分からない。家人の言葉にこちらもすぐ乗って相槌をうつ。大体この不況に莫大な投資をするなんてどうかしている。すぐ首がまわらなくなるんじゃないかな。民宿は民宿だよ。でっかいビルを建てるなんて思いあがりだよ。明日はあんな連中と釣りをするのは気がすすまないので、別の堤防に行くことにしてもいいが、せっかく塩見堤防で一年ぶりに釣ろうとやってきたんだからな。なるべく早く行くことにするか。それより天気はどうなんだろう。曇りで昼頃から晴れるそうで、いちにち大丈夫のようよ、と家人が答える。

 午後七時前、食堂から見える海景は暮れなずんでいくが、雲に覆われた海は暗澹としていて、翳りにしずむ遠い水平線のむこうには、やがていくつかの燈台の閃光がぼんやりと見えはじめた。

 次の日、空は明るんでいたが風はなお北西だった。カーテンを開けて見るとはるか沖から無数の波がうねりと共に押し寄せていた。無数の白い兎が駆けているようにみえる。あちこちみえる白い点は波頭が崩れ泡立っているのだ。潮は満ちはじめていて、堤防に寄せる波は時折、飛沫をあげている。
 「状況はよくないなぁ」
 「いまに凪いでくるわよ」
 気を揉みながら朝食をすませ堤防に急いだ。工事現場に人の動きがあるが、堤防には誰もいなかった。
 「ヒゲのにいちゃんたちに先を越されなくてよかった」
 風は強いが危険なほどではないので早速竿を出し、はやる心であちこちさぐってみる。海面のうねりが大きいため、あたりが取りづらいが良形のシロギスが出た。
 気をよくし餌を替えていると、砂浜からふたり連れが堤防にあがってくるのが見えた。ヒゲの青年たちではなく、学生風の若者だった。近くまできて遠慮がちに竿をセットしはじめた。家人が声をあげリールを捲いた。十八センチほどのベラが暴れながらあがってきた。
 「やったな。これからだよ」
 声をかけ風に逆らって投入した。潮は上げ八分あたりで喰いがたってきたようだが、いつの間にか風がさらに強まり沖合には無数の白い波頭が増えはじめていた。満潮はあと四十分ほど。するとこれからも寄せてくる波は高さを増し堤防は危険になる。そう思ううちに堤防の突端に大きな波がぶちあたり、飛沫を浴びてしまった。
 「これはひどいよ。潮どまりまでには間があるから、これから危険だな。場所替えをするしかないよ」
 「いちにち、じっくり楽しもうと思っていたのに、ついてないわねえ」
 引き揚げる私たちの後に入った若者たちは、大きな波の飛沫を何度もあび飛び跳ねながら竿をだしていた。
 北西の風に強い堤防を、近くの二階堂釣具店から聞き出していたので、車を走らせフラワーラインを館山ファミリーパーク、南房パラダイスと過ぎ平砂浦の尽きるあたりに位置する相の浜堤防に入った。

相の浜の広い堤防相の浜漁港の広い堤防

 この釣り場にはトイレがある。これは大きいポイントである。塩見堤防は近くにないので、家人はいざという場合に宿まで戻って済ませた。女性と一緒の時の釣り場選びはそれがひとつの条件になるのは止むを得ない。この漁港にトイレがあるのは、ここから釣り船が頻繁にあるためのようだ。

 山を越したせいか追い風になって風はあまり強くない。舟道をはさんで二筋ある堤防の右の先端に入った。ここの堤防は広く、先客もいるがウキ釣りなので支障がないようにして投げさせてもらう。雲の動きは速い。小雨がぱらついたと思ったら陽がさしてきて海面が青く輝きを増す。潮は引きに入っていてポツリポツリとシロギスが釣れてきた。

 右の砂浜ではカワハギが釣れた。メゴチは一匹も釣れない。例年にないことだ。例によっておむすびと冷やした麦茶で昼食をすませた。時間があっというまに過ぎ残り時間が刻々と少なくなっていく。雲はいつか遠のき青空がのぞきはじめた。光がさしてくると投げるポイントを決めるための海中の様子が、偏光眼鏡でよく分かる。砂浜とはいえ、いくつもの根が点在している。針先にひっかかってくる様子で藻が多いことが分かった。いつか夕凪になっていた。午後五時に納竿。二十四センチのカワハギをはじめとし良型三匹シロギス十匹ほど。荒天の塩見を断念したあとなので、大満足である。

 部屋からみえる海岸は柔らかな夕陽の中で凪いでいた。日中の時化模様が信じられないくらいだ。俯瞰する堤防には人影は見えない。ヒゲの青年たちはどうして今日釣りにきていないのだろう。昨日は陽の暮れるまで人影が動いていたのに。
 「きっと叱られたのよ。あれでは士気に影響しかねないものね」
 家人の言葉にヒゲの青年が時折みせた童顔を思い出していた。

布良漁港                の浜漁港近くの布良(めら)漁港

食堂からの夕映えは水平線を遮る雲の帯のために、いまひとつ彩りが冴えない。日中ろくに水分もとらずに釣りに熱中していたので、ビールがおいしくあっというまに空にしていささか酔う。

 酔いざましに部屋のヴェランダに出てみると、見事な星空が輝いていた。上空には雲ひとつなく水平線に沈みこんだ黒い雲の帯のために東京湾を隔てての燈台のまたたきはかぼそい。それにくらべ数限りない星空の豪奢な光芒が力強くまたたいていた。中天には北斗七星がかかっていた。その近くにある北極星はどれなのか分からない。うろ覚えの夏の星座名が浮かぶが、こんなに夥しく光り輝いていては判別がつかず、もごもごと呟くしかない。カシオペィア座、はくちょう座、こぐま座、遠い記憶に構っていられないほど、仰ぐ星座の豊饒な光に魅せられていた。

 中天の北斗七星は豊かな海を汲みあげようとでもしているように、ひしゃくを暗い海に傾けている。いや、ひしゃくは太古から地球に海をそぞきつづけているのかも知れない。
 「手が届きそうだわね。あの北斗七星。星を眺めていると、人間のしていることなんて、ちっぽけでいやになるわね」

 手摺に凭れていた家人が呟いた。

 「釣果に一喜一憂しているなんてそれこそちっぽけな世界なんだけどね。それを含めて宇宙はあるんだと思えばいいんじやないかな」
 暗い海に横たわっている堤防がぼんやりと見えた.海岸に寄せてくる波の筋がゆっくりと動くのが分かる。明日は帰京する午後一時まで竿を振る予定だが、そのちっぽけな楽しみのために、流れ星をみつけたら穏やかな天気を祈ろうかと空をみつめた。  


                                             その6 

 平成十一年七月上旬の釣行のあと、その秋には行けなかったので、翌年の春を楽しみにしていたが、五月に突然、家人の右目が見えなくなった。近くの眼科で診察をうけたところ、網膜から出血していると診断され、急遽、大学病院に駆けつけた。網膜の中心部である黄斑部から出血していて、放っておくと失明するというので、眼球に注射針でガスを注入するといえ緊急手術をうけた。ガス圧で網膜の出血を止める新しい治療法とのことで成功するとはかぎらないが、それしか治療方法がないようだ。ガスを注入してから一ヶ月、注入したガスが出血部分に固定するよう、顔を下に静臥していなければならない。それこそ釣りどころではなく辛い日々となった。

 夏を過ぎて、幸いに視力が徐々に回復してきた。前のようではないが、ぼんやり見えるようになってきたのだ。しかし最初のうちはまっすぐ歩くことができず、釣りにはもはや行けないのではないかと思えたが、時がたつにつれなんとか歩けるようになった。辛い思いをした家人の心を癒してやりたいとの思いもあり、思い切って館山に向ったのは、その年の十月のことだった。眼科用の偏光グラスも誂えた。当時の日記を引用してみる。

 平成十二年十月二十五日(水曜日) 小雨のち曇り 中潮 万端用意して十時過ぎに自宅を出発。環状八号線、横浜新道、横浜横須賀道路を経て久里浜フェリー港に十二時十五分頃到着。すぐ二十五分発のしらはま丸にて東京湾を浜金谷へ渡り、一路館山方面に向かう。房南荘に二時頃に着き、すぐ塩見堤防に入り釣行開始する。
折から潮は満潮に向かいはじめ波しぶきをあげるので、妻はこわがり落ち着きがない。喰いしぶる中、妻は型のいいシロギスをはじめ四匹ほどあげたが、こちらはボウズで終ってしまった。陽の暮れは早く、四時半過ぎの納竿。六時半夕食。大瓶ビールで酔ってしまう。一日めまぐるしく過ぎたので疲れたが、明日一年ぶりに終日竿を振って大釣りをしようとの意気ごみの前にはそれも苦にはならない。

塩見堤防上で                 塩見堤防からの水平線

 塩見堤防は他の堤防とくらべて堤防の高さがないのは、浜そのものも規模がちいさく、ここを拠点とする漁船は小船なので浜にあげ係留をすることがないからであろう。堤防の幅もあまりない。だからそれほどでもない風でも満潮時にはもろに波をかぶってしまう。この日は中潮だったのに、かなりの波があって危険なので移動し、奥まった浜の中ほどをポイントにして投げたが駄目だった。かつて晩秋の頃にこのあたりの藻場で二十匹ほどのシロギスの入れ喰いを経験したのだが、ひとつむこうの浜田堤防が大きく築かれたので潮の流れがかわり、堤防の中はメゴチすら釣れなくなってしまったようだ。家人は視力のおちた眼で餌付けがうまくいかないので、その都度かわりに付けてやるので忙しい。

 堤防で釣りながらなにか落ち着かないのは、浜中央に四階建ての民宿ができたからだと気がついた。前にきた時には工事中なのでそれほどでもなかったが、完成してみるとちいさな堤防を威圧するようにそびえたっていた。どこの土地でもそうであるが、すこしずつ風景が変わっていくのはしょうがないことかも知れない。海鮮料理を主体の料理旅館で、かなり繁昌しているようだ。団体客も姿を見せている。地域の発展のためにはよいことであるが、中々の値段なので、釣りを楽しむ人間にとっては、高根の花である。

 十月二十六日
(木曜日) 曇り 大潮 暑くなる 
 南西の風強く、塩見堤防はしぶきがかかり、釣りにならず、仕方ないので平砂浦先の相の浜堤防に入る。
 こちらも強風で砂が動きにごりが出て、妻は大型のイシモチを釣ったほか、釣れてくるものはゴンズイばかりなので、場所を移動して新しくできた浜田堤防に行ってみるが、これまた波うねりがひどく、仕方なく相の浜堤防に逆戻りして様子をみるが、ここもあまりよくならないので遂にあきらめて引きあげる。一泊の予定だったが、この成績では帰る気になれない。折りよく部屋も空いているというので追加一泊することにきめる。夕食はサザエ、海老の塩焼きでビールを飲む。釣り三昧のあと、あげ膳すえ膳
なのが家人にとってなによりの保養のようだ。
 明日は、もう一泊しての挑戦で、どうなるのか期待をかけながら不安でもある。ここらで大ギスが釣れるのではないかと夢は大きいが、ボウズに終ってしまうこともあるのだ。むしろボウズの可能性は大であろう。釣りというものは気がもめるものではある。

外道のゴンズイ 外道のゴンズイ

釣行の日を決めるのはむずかしく、なかば運に頼るところもある。潮廻りは大潮を選んで決めたのだが、風のことを考えると、あまり潮の動かない小潮から中潮のあたりがいいのかも知れない。思うように釣れず引きあげる無念さは、年に一、二回しかこないこともあってなおさらである。我侭を言うようだが、もう一泊という気になる。

 平砂浦の尽きるあたりに位置する相の浜堤防は、以前にも記したが、幅が広く安全なのでのんびりと釣りができる堤防である。ふつう船道でイシモチが釣れるという話はあまり聞かない。しかしここの堤防では十一月になると、どういう訳か平砂浦の広大な砂地から群をなしてイシモチが回遊してくるので釣り人は大釣りをするそうである。家人があげたイシモチは、そのはしりかも知れない。

一荷でのゴンズイつりにはうんざりしたことを思い出す。竿をあげるたびに髭をうごめかせ横シマシマのゴンズイがあがってきてリリースするのに苦労した。「ゴンズイ三昧」(岩本隼著)でのゴンズイ汁のことを一瞬思い浮かべたが、これといって釣果のない焦りもあったので、ゴンズイなど目もくれず、ひたすらシロギス狙いにこだわって竿をふりつづけたのである。

塩見堤防での一荷釣り               塩見堤防でのシロギス一荷釣り

十月二十七日(金曜日) 曇り 大潮 天気予報では晴となっていたのに、どんよりと曇り北西の風が強く昨日とはうってかわって肌寒い日となり、あわてて長袖を着用する。いつも行く二階堂釣具店に顔を出し、情報を知らせてもらうことにする。晩秋近くにはシロギスが荒喰いをするので平砂浦の浜がいいとのすすめで、行ってみようと決めて出発するが、その前にとにかく波の強い塩見堤防の様子を見てみようと堤防に立ち、風に逆らって竿をふると、沖目でつづけて良型のシロギスが出た。こうなると夢中になるしかない。手ごたえが忘れられず、腰を据えてしまい、ずるずると過ごしてしまった。あげ潮になってからは、あまり釣れず、平砂浦に行ったほうがよかったかなと、いくらかの悔いを感じながら宿に引きあげる。釣果はシロギス十匹くらいにキュウセン良型一匹なり。

  十月二十八日(土曜日) 曇りのち小雨 大潮 帰京する日だが、九時のチェックアウトを済ませてすぐ塩見堤防にむかう。朝、宿の窓から眺めたときには、ないでいたのに、釣り場に入る頃には北西の風波が出てしぶきをあげはじめた。またいつものパターンである。夢よもういちどと、昨日のように沖目に投げて探ったが、シロギスの群は消えてしまったのか、キュウセンの大きいのが釣れただけだった。妻の方にもアタリはなく潮がボツボツあげになり、堤防に白くしぶきがあがりはじめた。正午近く予定通り納竿し、海岸の草地に駐車してある車の中で、今年の見納めに海景を眺めながらおにぎりを喰べ、ボトルのウーロン茶を飲む。帰りついでに(こうやつ)堤防の様子を見に寄ったら、珍しく顔見知りの香(こうやつ)おばあさんに出会う。昼ご飯に戻るところで、こころなしか背がまがり会釈の表情も頼りなげにみえた。

 帰京する日は館山の美味しい寿司でも喰べ、ゆっくり帰ろうといつも思うのだが、朝になると、気もそぞろに堤防に向ってしまうのだ。

 この釣行のあと、一年以上塩見には行っていない。家人はいまも天候の具合で目に障害が起きたりするので、そのこともあるが、雑事にとらわれ思い切って時間がとれないうちに月日は経っていた。六十五歳をすぎてから何事にも億劫になってしまったこともある。日程を組み竿を選び仕掛け作りをする、本来ならそれがなにより楽しいことなのだが、億劫になってしまうのは哀しいことである。

 だが心はいつも塩見堤防にある。 目を閉じると浮かぶのは抜けるような青空のもと、くろずむ藍色のたゆたう海原に包まれ海景につき出ている塩見の堤防である。あるいは、あげ潮がひたひた寄せて渦をまき堤防を取り囲みはじめる夕暮どきの塩見堤防。波は流れ藻を浮かべ浜へと寄せながらきらきらと光り、そのあたりにボラがさかんにとびはねている。波の寄せる浜に引き揚げられている漁船が一面に夕陽を浴び、荘厳な姿で浮かびあがっている。そして時化の激しい波しぶきを浴びている孤高な堤防の表情さえも、しきりに私を呼んでいるような気がする。


                                     その7

 塩見海岸風景

塩見海岸前の釣行からしばらく行けなかったが、平成十四年の春、といっても四月下旬の頃、家人の眼底出血も悪化せず落ち着いているので、久し振りにシロギス釣りにでもと房南荘に電話を入れると、いきなりこの電話は使われていませんというメッセージがあった。そんな筈はないと何度もかけ直したが、やはり同じである。よもや、と房南荘あてハガキを出してみると、二日後に女将から電話があり、この三月をもって閉舘になり建物は売りに出されているということだった。土地建物はNTTの外郭団体が持っていて、所長夫婦は経営を請負っていたのだが、この不況から収支の悪い保養施設を切り捨てるという外郭団体の方針で、房南荘は廃止となったのだ。

 長年、常宿にしていた房南荘が突然なくなってしまったということは、かなりのショックだった。宿がなくてはもう塩見堤防へは釣行できないのではないか。そんな気さえした。気を取り直し近くの民宿のデータを集めたりしたが、房南荘の設備や眺望を考えると、いまひとつ気がすすまない。なんとなく面白くない日がつづいていていたある日、塩見から集落ふたつ先の見物(けんもつ)の浜に、休暇村館山があることを知り、宿泊条件を調べたところ、満足がいきそうなので、すぐ予約をとった。車なので五分もあれば塩見堤防に着いてしまいそうなので、さして不便ではない。いままで気がつかなかったが、休暇村館山の前にはちいさいが期待できそうな漁港堤防もあるのだ。

 待望の五月二十二日、気温もあがり、薄曇りで時折陽のさすまあまあの天気の中、午前十時前に出発し一路館山を目指した。昼前には久里浜に着き、いつものようにフエリー金谷丸で千葉金谷港に向う。金谷港の駐車場で家人の作ったおにぎりを急いで喰べた。二年ぶりの釣行なので気がはやっている。しかし釣り場に入る前、房南荘から立ち退いた元所長の鈴木さん宅を訪ね、ひさしぶりに元女将の夫人に挨拶する。この人には色々とお世話になった。この香(こうやつ)にある家は立ち退くために急いで新築したらしい。引越しで運び込まれた荷物でごったがえしている中で立ち話をした。夫人と家人との、閉館になるいきさつやそれまでの切り盛りのうら話は尽きない。失職したご主人はいまのところポツポツと海に出て、網漁をしているという。帰りには知るひとぞ知る館山中村屋のロシアンケーキをお土産にいただいてしまった。

 午後三時前、やっと塩見堤防に入った。漁港の仮小屋や漁船などは、変わらない風景だが、漁港ぎわの派手な三階建ての民宿もいまでは目に馴れてきた。潮はあまり動かず若潮で、満潮時はすでに過ぎていて、釣りのタイミングとしてはよくない。心配していた海藻は少なく釣りいいが、あたりはこない。宿に入る五時近くまでねばり、シロギスはちいさいのを含めたった三匹。家人はボウズに終わった。

 見物の休暇村館山は三階建てで海辺に面して鳥瞰はすばらしい。房南荘と同じようにうまくすれば富士山の落日が見える筈であるが、いまは霞んで見えない。眼下にはこじんまりとした見物漁港があった。堤防まわりは岩場だというが、一度竿を出してみたい堤防である。ここの展望風呂は三階にあり海が一面に望めた。ロビーや食堂もしゃれた感じで、家人は気に入ったようだ。比較的、低廉な料金もいい。
  外道のカレエ外道のカレイ

 翌日は曇っていて、雲が低く流れていた。
 今日は終日釣る予定なので、雨が心配だった。行く途中、香
(こうやつ)おばあさんの消息も知りたいので、二階堂釣具店に寄ったが不在だった。堤防に出ると、案のじょう雨がパラパラときたので合羽を着て竿を出した。潮はあげにかかっている。内側に投げていた家人に二十センチのシロギスがきた。浅場なのに信じられない。昨日のボウズは帳消しである。あせり気味になっていると、沖目の岩場すれすれに投げた竿に、十八センチのカワハギがきた。手ごたえはすごい。この感じがたまらないのだ。気恥ずかしげなツブラな目とチョボ口の愛嬌のある顔は懐かしさすら感じる。
 これをクーラーに収めてから、あたりは遠のいた。
 雨は降ったりやんだりだ。シロギスは散発的にくるが、型はいまひとつである。
 もうひとつの目あて、天婦羅にするお土産のメゴチはなぜか全然こない。隣りの浜田堤防が新築され外側に大きくのびてから、潮の流れが変わってしまったのであろう。自然というものは微妙なもので、塩見堤防の周囲に棲息する魚類の状況が変わってしまった公算大である。貸しボートもあり、海水浴にも好適なので、漁港としても将来の発展を見込んでの、大規模な堤防を築いたのであろう。

外道のカサゴ                     外道のカサゴ

 携帯電話で留守宅に電話を入れていた家人が、朝からいくら呼んでも出ないのはおかしいという。なにかあったのかと不安になり、午後二時頃、納竿して宿に戻った。知り合いに電話して留守宅とはやっと連絡がとれたが、電話の故障らしい。どうやら前に申し込んでおいた、ADSL切り替え工事によるものらしいので、プロバイダーに連絡をとったが、時間外になってしまったのでどうにもならない。留守宅が心配なので、夕食を済ませてから急遽帰ることにするか迷ったが、とにかく留守宅には連絡がとれているので、予定通り明日も午前中釣りをしてから帰ることに決めた。

 翌日は晴れたり曇ったりの絶好な日和となった。チェックアウトを済ませ、早速釣り場に向う途中、また二階堂釣具店に寄ると、主人が目をまるくして迎えてくれた。餌は東京で充分買ってあるので、氷や仕掛を買うだけなのはいつものことだった。主人はやおら小林さんがこの本を出しましたと、棚に積んである本を差し出した。著者名は小林卯多。「魚釣りがわたしに元気をくれた」(2002年・卯多自伝編纂委員会)とある。表紙カバーにはシロギスを手にして顔をほころばせている釣り姿の写真があった。小林さんとは香(こうやつ)おばあさんのことで、早速買うことにした。ページをめくってみると、釣りのエッセイで、この香(こうやつ)の付近の釣行も書かれてある。すぐにも読みたいのを我慢して釣り場に向った。
 「香
(こうやつ)おばあさん、仲々やるじゃないの」
 「年なので引退したのかなと思っていたのに、元気に活躍しているなんて、すごいな」

 (こうやつ)おばあさんの本

小林ウタさんの本 わたしたちはいささか興奮しながら釣りの支度に入った。潮は中潮、海は凪ぎ澄みきっていた。陽のひかりが浅場の藻をゆらめかせているのがはっきり見える。こりゃまずいなと思った。こんな日は釣りにならないことが多い。魚は潜んで出てこないのだ。やんぬるかな。予感はあたった。その日、昼までに家人がシロギスを一匹とちいさいメゴチを若干釣っただけに終わった。家のことが気になるので、昼で切り上げ帰途についた。館山船形ふれあい市場で珍しい鰯のひらきなどの土産を買い、午後四時過ぎに帰宅。
 電話が通じないのは断線しているからだった。急いで113番したが、五時過ぎになり時間外なので係におつなぎしますというアナウンスばかりが繰り返されるだけで、まったく通じない。怒りがこみあげるが、どうしょうもないのであきらめる。
 原因は後になって分かったが、高円寺局舎内配線の工事ミスで、NTT・MEから詫びの電話があったので、すっきりしないが了承した。

 その夜、落ち着いてから香(こうやつ)おばあさんの本を読んだ。オビ文にあるとおり《春は新緑の渓流に山女魚を求め夏は清流で鮎を釣る そして秋、いえ雪景色の中ですら海の魚と遊び戯れます わたしはしあわせです》とあるとおり、事業がうまくいかず不安神経症に悩まされていた著者が、五十歳にはじめた釣りで健康になり、以来八十七歳の現在まで、毎週土日を海辺と渓流に美しい魚を求めて情熱を傾けつづけるさまが綴られている。
 本の紹介になってしまうが、前半は自伝風に、激動の大正昭和に長野の歴史ある老舗の料亭の女将として、また戦後の混乱期に魚屋をしながら耐えしのび料亭の再興に成功するが病に倒れて苦しみ、釣りの世界に生甲斐を見出して病が癒えるまでを書いている。いまも息子さんの経営するレストランでレジ係をしているとのこと。知らなかった香
(こうやつ)おばあさんの人生に粛然とさせられた。これも知らなかったが、釣り雑誌「フィッシング」では指折り数える女流釣り師にあげられていて、釣行レポートを数多く発表しているそうである。堤防でのあの投げの空を切る鋭い冴えた音は、そんなキャリアに支えられているからだと頷ける。後半は手ほどきをうけた釣り師との座談会、釣りの旅、釣りの想い出がユーモアのある生き生きとした筆致でまとめられている。

塩見海岸から香堤防を望む               塩見海岸から香(こうやつ)堤防を望む

 そのひとつ「二階堂さんのおっ取り刀」は、香(こうやつ)おばあさんが家を世話してもらっている二階堂釣具店の主人とのことが書かれている。香(こうやつ)堤防でシロギスを釣っていたところ、思いがけなく大物のヒラメがかかり、足許までやっと取り寄せたが、取り込みにはタモがいるのであわてて、携帯電話で二階堂釣具店の主人を呼び出し「タモ、タモ。ヒラメ」と叫んだら、タモを片手に片手運転で自転車を飛ばして駆けつけてくれ、四十九センチのヒラメを取り込むことができたというエピソードで、香(こうやつ)おばあさんの取り込むまでのドキドキハラハラした気持ちと、「でも、よくキス釣りの細仕掛けでタメてられたねぇ、バラさないで。電話受けて、タモ持って自転車ですっ飛んできたけれど、五分や六分はかかってますよ、えらいもんだ」と、目をまるくし、しきりに感心している、ひょうひょうとした二階堂釣具店の主人の顔が浮かび、思わず笑ってしまった。おおむねこんな調子で書かれている。

 

 釣行の疲れがとれた数日後、どうしても読後感が書きたくて、手紙をしたためた。堤防ではいままで何回か言葉をかわしてはいるが、それ以上のことは二階堂釣具店の主人から聞いているだけの関係なのに、失礼ではないかと思ったがあえて書くことにしたのは、その人柄と釣りひとすじに生きるひたむきさに感銘を受けたからだった。以下はその文面である。

はじめてお手紙をさしあげる失礼の段、お許しください。数年来、ときたま塩見堤防や香(こうやつ)堤防でお目にかかることのあった、投げ釣りマニアの老夫婦?を覚えていらっしゃるでしょうか。今年二年ぶりでこの五月下旬塩見堤防に参りました。釣果はいまひとつでしたが、二階堂釣具店に寄った折、御著「魚釣りがわたしに元気をくれた」を頒けていただきました。早速、拝読し、夢中で読みおえましたが、小林さまがこのように幅広く色々と活躍されていたとは存じませんでしたので、改めてご矍鑠のさまにびっくりいたしております。大正・昭和・平成と生きていらっしゃった閲歴も読ませていただき、激動のなかを生きぬかれた厳しい人生を知り、胸を打たれました。そして五十代からの釣りの魅力に惹かれていく心境も共感でき、私どもからみたら釣り三昧に明け暮れる小林さまは、なんと羨ましいかぎりの人生だろうと思われます。海釣りについてのスペースが川釣りより少なかったように思え、もっと身近な南房総あたりの釣り場のことを読みたいと思いました。「二階堂さんのおっ取り刀」には笑ってしまいました。あの主人の茫洋とした風貌が彷彿と浮かんできます。私どももあの方にはなにかと世話になっています。

 家庭の事情でしばらくは館山に釣行できませんので、お会いできないのが残念です。小林さまの気合の入った投げの技に憧れております妻も、どうぞよろしくと申しています。いつまでもご壮健でご活躍のほどをお祈りいたします。なお、小生のかかわる同人誌に随筆「館山塩見堤防」を連載していますが、その中に印象に残った小林さまのことを勝手ながら記述している部分がありますので、ご笑覧くださるよう同封いたしました。お暇の折にご一読くだされば幸甚です。
 もっと色々と書きたかったが、結局ごくふつうの挨拶状になってしまった。

塩見堤防の上をとぶヘリ 自衛隊館山基地のヘリがしょっちゅう飛ぶ

 「館山塩見堤防」の初回からコピーして投函すると、一週間の後、ハガキをいただいた。私信なので転載できないのが残念だが、封を開けて一気に読ませてもらった。塩見の堤防の釣り、砂浜の岩からの釣りは、私の大好きな釣り場です。でも浜田の堤防がのびてからは変わったのは仕方ないことと述べられ、いつか塩見堤防でお逢い出来る日を楽しみにしているので、声をかけてくださいと記してあった。

 八十七才になってなお、ひたむきに海や川のロマンを追い求めて行動される、香(こうやつ)おばあさんには圧倒されてしまうエネルギーを感じないではいられない。私にいくらかの川釣りの知識と経験があったら、このひとの生きざまを作品に書いてみたい魅力を感じている。またお会いできる日まで、いや、いつまでもご壮健でいらっしゃるよう願っている。

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