登場文学者の図書案内その1     庭 冬明

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 左手に見えるのは、荒天の塩見堤防

                                                         その1        

 定宿のそばということもあって、いつも腰を据えているこの堤防は、投げ釣りで数回訪れている。堤防は館山から洲の崎方面へ少し行ったところにあり、漁船が十隻にみたないちいさな浜田漁港のもので、もともと砂浜の続く浜田海岸から突き出た岩礁を利用して作られたものらしく、低い堤防は北風もしくは北西の風が吹くと白い飛沫で覆われてしまう。しかし東京湾に面しているので穏やな表情をみせていることが多く好釣り場であるが、ちいさな堤防は三、四人も入ると一杯になってしまい、週末は釣り座を確保するのが一苦労である。釣り人はメジナ黒鯛狙いの浮釣り、ルアーフィッシイングでスズキやイナダなど大物回遊魚を狙う釣り人もくるが、しかしなんと言ってもシロギスの好釣り場だろう。

外道のカワハギ 外道のカワハギ

 シロギスの魅力に惹かれたのはもう三十年ほども前で、三浦半島を中心に砂浜を投げ歩いたものだった。しかし釣り友達が転勤してからなんとなく止めてしまっていた。妙なことから釣りに興味を持ちはじめた家人にせがまれ、久しぶりに竿を握るようになったのだ。やはり日がな海とつきあうのは精神衛生上もいいものである。

 海中からあがってくるシロギスのほっそりした姿態は美しい。細長い魚体はすきとおるように白く、微細な一面の鱗が虹のようにきらめき、ぬれて光る目ははじらいをみせ、まさしく海の女王といった気品を備えている。跳ねながらあがってくる魚体を掌で摑むと、動きと共に海の冷たい感触が伝わってきて、荒々しい海を生き抜いてきたシロギスの生命が弾けるようにきらめく。その美しさに魅せられシロギス釣りに夢中になったといってよい。

外道のキュウセン                   これも外道のキュウセン(ベラ)

 竿を持ちながら「あたり」を待つ時の気分はいいものだ。あたりを感じてそろりと糸を巻き上げていく時、また銀色に輝く魚体が見えてきた時のわくわくした気持は釣り人でなければ味わえないだろう。外道にメゴチやベラ、カサゴなど雑多なものが釣れてくる。なかでも灰色の魚体からぬめりを出し二本の棘のある背びれを立てて暴れるメゴチは厭な奴である。だがこれは天ぷらにすると美味なので苦労しながら針をはずしクーラーに納める。家人はメゴチの針はずしが苦手なのか釣れる度に私のところに持ってくる。メゴチは一名ネズミゴチともいうくらいだから無理もない。あまり投げの距離がでない家人は、堤防の根まわりを釣るのでアイナメやキュウセン、ウシノシタのたぐいを釣りあげるが、それはそれで結構楽しいらしい。餌のジャリメを針につけることも出来るようになった。
 ともあれ、塩見堤防に限らず海と対峙して過すひとときは、都会の喧騒に悩まされている者にとって、なんと蠱惑的な再生の時であることだろうか。

                                                      その2  

 その日、半年ぶりに、……正確に言うと七ヶ月ぶりに立つ塩見堤防は、穏やかさをなくしていた。堤防先端の外側部分に沈めてあるテトラポットは引潮で露呈していたが、押し寄せる波が砕け、白い飛沫をしきりにあげていた。北西の風だとこの堤防はまともに波風をうける。いまは梅雨の季節だが、冬場は荒れて釣りにならない。海水にも濁りが出てきているようだった。シロギスの最も嫌うものだ。気持ちのせくままに家人の竿からセットして、それぞれが第一投を済ませた。十号のおもりをつけた仕掛が遠くにのびて、海面から沈んで行く。この瞬間のときめきはなにものにも替えがたい。今日は堤防にはほかに誰もいない。

 塩見堤防を内側から望む

堤防内側からの塩見堤防 堤防から砂浜をふりかえると、こじんまりとした塩見漁港の浜には幾艘もの漁船が引きあげられていて、無人の小屋には漁具が乾かされているのがみえた。これも以前と変らない風景だった。前にきたのは昨年の十一月はじめの頃だった。その時には堤防の内側の藻まわりで、シロギスを入れぐいで二十匹ほど釣ったことが思いだされる。梅雨の厚い雲間から洩れる陽光にきらきら光る夥しい波の反射をみつめていると、いま生きているという実感があった。

 去年の十一月の検診で思いがけなく結腸腫瘍が発見され、明けて一月早々に入院、腫瘍摘出手術をうけて半年が経っていた。二週間おきに通院している身だったが、苦しい病床では思いはいつも塩見堤防にかえっていった。だから体力に自信はなかったが、思い切ってやってきたのだった。

 早暁、六時の検温で起される病床から見えるのは、濃い藍色よりさらに深い朝の闇だった。毎日のように仰臥して身体を管でつながれ動くことも出来ず、見つめるしかない一面の空が闇にあふれていて、それがゆっくり濃紫の色とまざりあい、徐々に明るくなっていく。途方もなく長い時間を耐えていると、塩見堤防でみた大洋のあらゆるものを抱擁し輝く青の色を思い出し、あのまばゆいばかりの時間を思わないではいられなかった。

 塩見堤防は館山から洲の崎方面に行き、定置網漁船の係留されている香の堤防からひとつ先の堤防で、塩見漁港の砂浜を囲っている低く小規模なこの堤防は、海に突出しているので回遊する魚たちが入り込んできて、さまざまな魚が釣れた。塩見と名がついているのは、突出しているこの位置から漁に出る時に潮を見たからであろう。堤防の右は館山湾を抱く大房岬が遠望でき、正面には遠く霞む三浦半島がある。風の強い晴れた日には思いがけなく富士山が望めた。

 投げ釣りは瞬間、竿の反発力を利用して仕掛を遠くに飛ばす釣り方なので、腹筋を思いのほか使うことになる。下腹や腸を縫合したところが、どうなるかと不安がつきまとったが、投げてみると案外大丈夫のように思えた。

 道糸が波に叩かれて竿頭が動く。あたりはよく分らない。風はすこし強くなったようだ。一時間が経ったが、なにも釣れなかった。小さなクサフグが時折糸を切るだけだった。手持ちの竿の他に一本竿を出して先端から投げ、置き竿にした。あげ潮三分で喰いのたつ時間だった。家人は黙々と竿を動かし、えさを取り替えている。ようやくホウボウのちいさいのをあげた。水平線から寄せてくる波は幾重にもなってあげ潮の勢いとともに押し寄せ、低い堤防にまで飛沫を散らしはじめた。

                          外道のクサフグ

 「ひきあげましょうか。明日一日あるのですもの。焦ることはありませんよ」
 家人が声をかけてきた。
 「うん」
 そういいながらなかなか思いきれない。荒くなった波が糸を叩き竿の先端を震わせている。
 沖から漁船が戻ってきた。やはり波が荒くなったので帰ってきたのだろうか。

 突然、置き竿がすごい勢いで堤防を走り、海面に落ち波間を動いていった。
 (しまった)風でたるみ舟道にのびている糸を、帰ってきた漁船がひっかけたのだ。釣り人のエチケットとして舟が通る場合には、ただちに仕掛をあげなければならないのだ。竿はどんどん遠くに動いていき見えなくなった。大事な竿をうしなった失敗に家人と顔を見合わせた。(あきらめるしかない)堤防を迂回するように廻り、漁港に入ってこようとしていた漁船が突然とまった。漁師は舷をしきりにのぞき、やがて船を後退させた。ひっかけた糸がどこかに絡みついたのだ。漁師は船を沖へと後退させると、そこで船尾にかがみこみ、スクリューをあげるとなにかしはじめた。風で船が揺れている。スクリューに釣り糸が絡んでしまったらしく、糸をはずしているのだった。

 「大変なことになってしまったな」
 ぼんやりしていたために、漁師に迷惑をかけてしまったのを悔やんだ。
 「怒られるわ、きっと。謝らなくてはね」
 家人は気を揉んでいた。
 「とにかく納竿にしよう」
 漁師の方をみながら、竿のかたずけをすませ荷物をまとめた。しかし漁師はまだスクリューの糸を丹念にはずしつづけている。船はどんどんと沖に流されていた。三十分がたち、ようやく漁師はスクリューを海面に入れるとエンジンをかけた。走り出した船はスピードをあげると堤防の内側に廻りこみ、弧を画くと船尾を堤防につけた。ふたりは走り寄って大声を出して謝った。漁師はなにも言わない。黙ったまま海水のしたたる竿とからまった道糸のかたまりを差し出した。漁師の表情は分らない。鈴丸という名前が読めた。
 「ご迷惑かけてすみませんでした」
 家人がまた声をかけた。
 「竿はね。穂先が駄目だよ。けんど香の釣具店で直してくれっから。三百円くらいだね」
 漁師はそんなことを何度もぼそぼそと言った。
 いきなり怒鳴りつけられるとばかり思っていたので、ほっとして頭をさげると和んだ気持ちになり宿に引きあげた。五時半になっていた。

香堤防 隣りの香(こうやつ)堤防。 定置網船がみえる

 宿は道路に面した傾斜地にあり、二階の部屋からは塩見の堤防が下に眺められる。だから朝めざめるとカーテンを開け、堤防の様子をみるのが習慣になっていた。堤防は休日ともなると早朝から釣り人が入り、狭い堤防に後から入るのを断念しなければならないことがしばしばあった。今回は週日なのでその心配はなかったが…。夜は雨になった。予報では強風注意報が出ていた。下腹がすこし痛んだが癒着の痛みかも知れなかった。
 早朝、めざめてカーテンから海を覗き()と声をのんだ。一面に白波がたち騒ぎ、堤防は飛沫をあげている。家人は暑くて四時頃にめざめて窓を開けたところすごい潮騒がしていたと言った。空は明るいのだが風が強い。
 当日の日記にはこう記されている。(天候はあやしく海も荒れていそうだが、食事を済ませると早速に塩見堤防に赴いた。いまにもひと雨きそうな雲と強風に荒れる波の堤防で釣りはじめたが、やはりあたりもなく状況はひどく悪い。おもりは流されるし、海藻に絡み餌はだいなしになってしまう。ふいに急な風で倒されそうになる。午後一時頃にはしたかなく断念し竿をしまった。メゴチ二匹、カワハギ一匹小アイナメ一匹という釣果も、この天候ではよくやったととも言える)その後、北西の風に強い釣り場を探して、洲崎西港、北港とまわったが、釣りのできる状況ではないので、四時に宿に戻った。風は依然として強く、雲が早く流れていて、予報では明日も風がつづくと報じていた。帰りの日になるので、午前だけが釣りの時間だったが、この日も海は泡立ち、荒天で潮騒がすさまじかった。塩見の堤防は飛沫が高くぶちあたり、その都度海水が滝のように堤防上から流れ落ちている。漁船はもちろん出ていない。

 宿をチェックアウトしてから未練がましく塩見の海岸に車をとめ、その光景を眺めつづけた。
 「今回はさんざんだったなあ。ひさしぶりだったのに」
 恨み言を洩らすと、家人はうなづいた。
 「だけど鈴丸の漁師さんのような人に会っただけでもよかったわ」
 赤銅色の朴訥な顔が浮かんだ。鈴丸は堤防に内側に係留され、波に揉まれている。
 「それに、以前のように釣りができるという自信がついただけでもよかったんじゃないの」
 家人の言葉に、途方もない長い時間に思えたあの濃い藍色のよりさらに深い朝の闇が思い浮かんだ。

                                              その6 

 平成十一年七月上旬の釣行のあと、秋には行けなかったので、翌年の春を楽しみにしていたが、五月に突然、家人の右目が見えなくなった。近くの眼科で診察をうけたところ、網膜から出血していると診断され、急遽、大学病院に駆けつけた。網膜の中心部である黄斑部から出血していて、放っておくと失明するというので、眼球に注射針でガスを注入するといえ緊急手術をうけた。ガス圧で網膜の出血を止める新しい治療法とのことで成功するとはかぎらないが、それしか治療方法がないようだ。ガスを注入してから一ヶ月、注入したガスが出血部分に固定するよう、顔を下に静臥していなければならない。それこそ釣りどころではなく辛い日々となった。

 夏を過ぎて、幸いに視力が徐々に回復してきた。前のようではないが、ぼんやり見えるようになってきたのだ。しかし最初のうちはまっすぐ歩くことができず、釣りにはもはや行けないのではないかと思えたが、時がたつにつれなんとか歩けるようになった。辛い思いをした家人の心を癒してやりたいとの思いもあり、思い切って館山に向ったのは、その年の十月のことだった。当時の日記を引用してみる。

  十月二十五日(水曜日) 小雨のち曇り 中潮 万端用意して十時過ぎに自宅を出発。環状八号線、横浜新道、横浜横須賀道路を経て久里浜フェリー港に十二時十五分頃到着。すぐ二十五分発のしらはま丸にて東京湾を浜金谷へ渡り、一路館山方面に向かう。房南荘に二時頃に着き、すぐ塩見堤防に入り釣行開始する。折から潮は満潮に向かいはじめ波しぶきをあげるので、妻はこわがり落ち着きがない。喰いしぶる中、妻は型のいいシロギスをはじめ四匹ほどあげたが、こちらはボウズで終ってしまった。陽の暮れは早く、四時半過ぎの納竿。六時半夕食。大瓶ビールで酔ってしまう。一日めまぐるしく過ぎたので疲れたが、明日一年ぶりに終日、竿を振って大釣りをしようとの意気ごみの前にはそれも苦にはならない。

塩見堤防上で                     塩見堤防からの水平線

 塩見堤防は他の堤防とくらべて堤防の高さがないのは、浜そのものも規模がちいさく、ここを拠点とする漁船は小船なので浜にあげ係留をすることがないからであろう。堤防の幅もあまりない。だからそれほどでもない風でも満潮時にはもろに波をかぶってしまう。この日は中潮だったのに、かなりの波があって危険なので移動し、奥まった浜の中ほどをポイントにして投げたが駄目だった。かつて晩秋の頃にこのあたりの藻場で二十匹ほどのシロギスの入れ喰いを経験したのだが、ひとつむこうの浜田堤防が大きく築かれたので潮の流れがかわり、堤防の中はメゴチすら釣れなくなってしまったようだ。家人は視力のおちた眼で餌付けがうまくいかないので、その都度かわりに付けてやるので忙しい。

 堤防で釣りながらなにか落ち着かないのは、浜中央に四階建ての民宿ができたからだと気がついた。前にきた時には工事中なのでそれほどでもなかったが、完成してみるとちいさな堤防を威圧するようにそびえたっていた。どこの土地でもそうであるが、すこしずつ風景が変わっていくのはしょうがないことかも知れない。

  十月二十六日(木曜日) 曇り 大潮 暑くなる 南西の風強く、塩見堤防はしぶきがかかり、釣りにならず、仕方ないので平砂浦先の相の浜堤防に入る。こちらも強風で砂が動きにごりが出て、妻は大型のイシモチを釣ったほか、釣れてくるものはゴンズイばかり。場所を移動して新しくできた浜田堤防に行ってみるが、これまた波うねりがひどく、仕方なく相の浜堤防に逆戻りするが、ここもあまりよくならないのであきらめて引きあげる。

一泊の予定だったが、この成績では帰る気になれない。折りよく部屋も空いているというので追加一泊することにきめる。夕食はサザエ、海老の塩焼きでビールを飲む。釣り三昧のあと、あげ膳すえ膳なのが妻にとってなによりの保養のようだ。

外道のゴンズイ 外道のゴンズイ

釣行の日を決めるのはむずかしく、なかば運に頼るところもある。潮廻りは大潮を選んで決めたのだが、風のことを考えると、あまり潮の動かない小潮から中潮のあたりがいいのかも知れない。思うように釣れず引きあげる無念さは、年に一、二回しかこないこともあってなおさらである。我侭を言うようだが、もう一泊という気になる。

 平砂浦の尽きるあたりに位置する相の浜堤防は、以前にも記したが、幅が広く安全なのでのんびりと釣りができる堤防である。ふつう船道でイシモチが釣れるという話はあまり聞かない。しかしここの堤防では十一月になると、どういう訳か平砂浦の広大な砂地から群をなしてイシモチが回遊してくるので釣り人は大釣りをするそうである。家人があげたイシモチは、そのはしりかも知れない。

一荷でのゴンズイつりにはうんざりしたことを思い出す。竿をあげるたびに髭をうごめかせ横シマシマのゴンズイがあがってきてリリースするのに苦労した。「ゴンズイ三昧」(岩本隼著)でのゴンズイ汁のことを一瞬思い浮かべたが、これといって釣果のない焦りもあったので、ゴンズイなど目もくれず、ひたすらシロギス狙いにこだわって竿をふりつづけたのである。

塩見堤防での一荷釣り                     塩見堤防でのシロギス一荷釣り

十月二十七日(金曜日) 曇り 大潮 天気予報では晴となっていたのに、どんよりと曇り北西の風が強く昨日とはうってかわって肌寒い日となり、あわてて長袖を着用する。いつも行く二階堂釣具店に顔を出し、情報を知らせてもらうことにする。晩秋近くにはシロギスが荒喰いをするので平砂浦の浜がいいとのすすめで、行ってみようと決めて出発するが、その前にとにかく波の強い塩見堤防の様子を見てみようと堤防に立ち、風に逆らって竿をふると、沖目でつづけて良型のシロギスが出た。こうなると夢中になるしかない。手ごたえが忘れられず、腰を据えてしまい、ずるずると過ごしてしまった。あげ潮になってからは、あまり釣れず、平砂浦に行ったほうがよかったかなと、いくらかの悔いを感じながら宿に引きあげる。釣果はシロギス十匹くらいにキュウセン良型一匹なり。

  十月二十八日(土曜日) 曇りのち小雨 大潮 帰京する日だが、九時のチェックアウトを済ませてすぐ塩見堤防にむかう。朝、宿の窓から眺めたときには、ないでいたのに、釣り場に入る頃には北西の風波が出てしぶきをあげはじめた。またいつものパターンである。夢よもういちどと、昨日のように沖目に投げて探ったが、シロギスの群は消えてしまったのか、キュウセンの大きいのが釣れただけだった。妻の方にもアタリはなく潮がボツボツあげになり、堤防に白くしぶきがあがりはじめた。正午近く予定通り納竿し、海岸の草地に駐車してある車の中で、今年の見納めに海景を眺めながらおにぎりを喰べ、ボトルのウーロン茶を飲む。帰りついでに(こうやつ)堤防の様子を見に寄ったら、珍しく顔見知りの小林のおばあさんに出会う。昼ご飯に戻るところで、こころなしか背がまがり会釈の表情も頼りなげにみえた。……以下略

 帰京する日は館山の美味しい寿司でも喰べ、ゆっくり帰ろうといつも思うのだが、朝になると、気もそぞろに堤防に向ってしまうのだ。
 この日は昼まで塩見堤防でねばって、なお未練がましく隣りの香堤防を覗いてみたのだが、そこで思いがけなく香おばあさんこと小林さんにめぐりあうことができた。何年ぶりだろうか。二階堂釣具店のおやじさんによると、香おばあさんはいまもシーズンになると金曜日の夜に特急電車できて、借りている家に泊まり、土曜日曜と釣り三昧に明け暮れ帰京するという。その日は息子が付き添い面倒をみていたようだ。そんな情熱はどこからきているのだろう。釣りができなくなった時、香おばあさんの人生はどうなるのだろうか。

 この釣行のあと、もう一年以上も海に行っていない。家人はいまも天候の具合で目に障害が起きたりするので、そのこともあるが、雑事にとらわれ思い切って時間がとれないうちに月日は経っていた。六十五歳をすぎてから何事にも億劫になってしまったこともある。日程を組み竿を選び仕掛け作りをする、本来ならそれがなにより楽しいことなのだが、億劫になってしまうのは哀しいことである。

 だが、心はいつも塩見堤防にある。 目を閉じると浮かぶのは抜けるような青空のもと、くろずむ藍色のたゆたう海原に包まれ海景につき出ている塩見の堤防である。あるいは、あげ潮がひたひた寄せて渦をまき堤防を取り囲みはじめる夕暮どきの塩見堤防。波は流れ藻を浮かべ浜へと寄せながらきらきらと光り、そのあたりにボラがさかんにとびはねている。波の寄せる浜に引き揚げられている漁船が一面に夕陽を浴び、荘厳な姿で浮かびあがっている。そして時化の激しい波しぶきを浴びている孤高な堤防の表情さえも、私を呼んでいるような気がする。
「心おとろえた時には海に行こう。心(さか)んな時も海に行こう」
矢内原伊作氏のこの文章が私をいつも癒してくれる。

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