阿佐ヶ谷北界隈その2


亀井勝一郎の旧居付近から戻り、ヤマサ木材店の角から馬橋公園の通りを行くと、早稲田通りにつきあたる。左に折れて進むと、区立杉森中学校先に、四基の石塔を祀ったお堂(阿佐ヶ谷北5丁目42)が現れる。惡病退治、村民安全を祈願した江戸時代中期の建立。庚申塔、二地蔵塔、阿弥陀塔の前は花が絶えない。お堂の先の信号交叉点を渡って戻り、ふたつめの角(阿佐谷北64)を左折し、閑静な町並をまっすぐ進むと、やがて右側に藤田産婦人科がみえてくる。その角を入ったあたりが(阿佐ヶ谷北6丁目43)。ここに文芸評論家、佐々木基一(1914−1993)久我山界隈その2で紹介≫が昭和20年から5年間住んでいた。その頃を追憶して昭和55年「鎮魂小説阿佐ヶ谷六丁目」を書いた。敗戦直後の耐乏生活の中での交遊や、後にこの地を夫人と再訪し、当時の町並みを回顧しながらの記述は、さすが評論家、精緻をきわめている。「(住いは)……当時は大場(ダイバ)通りと呼ばれているバス通りから、さらに北に向ってしばらく行ったところである。その先の細い十字路が、杉並区、中野区の境になっていた。阿佐谷側の高台がそこで尽きていて、その先は鷺宮に向って田圃が展けている」(同書より) 大場通りとはいまの早稲田通りのこと。その鷺宮側に敗戦直後まで住んだ佐多稲子(1904-1998)《鷺宮界隈その1で紹介》が、大場通りにある風呂屋に通う姿をよくみかけ、艶艶した長い髪が印象的だったと書いている。

 阿佐ヶ谷図書館  (松山通りの奥まった一角にある) 阿佐ヶ谷図書館

早稲田通りに戻り、阿佐ヶ谷方面に向って歩くと、道は中杉通りと交差する。それを左折して行くと、すぐバス停「杉九小前」がある。その近くの交差点を西方向に進むと、道は天沼方面に向うが、すぐに出会うクリーニングの看板角を左に入り、旧中杉通りだった松山通りに入る。
20メートルほど先の漢方薬店の角を右折すると、区立阿佐ヶ谷図書館(阿佐ヶ谷北3丁目36)のこじんまりとした建物が見える。舘前には「阿佐ヶ谷文士村」≪阿佐ヶ谷文士会については阿佐ヶ谷北界隈その1で紹介≫趣旨プレートの掲示、館内には阿佐ヶ谷文士村図書コーナーが設けられている。「阿佐ヶ谷文士マップ」なども展示され、当時の文学者たちの様子がわかる。主に大正以降日本文学資料の収集館となっている。〔開館時間、休館日など問い合わせは、03-5373-1811〕

 ふたたび通りに出て駅方面へ向うと、右側カレーハウスの角を入った広い駐車場の近く(阿佐ヶ谷北3丁目14)に、火野葦平(19071960)が昭和28年に新築し、鈍魚(どんこ)庵と名付けた旧宅がある。井伏鱒二らの阿佐ヶ谷文士会に加わり、同年3月の例会はその火野邸で行なわれた。郷里から取り寄せた河豚をしばしば例会の酒宴に供したという。

 火野葦平旧宅附近

火野葦平旧宅附近 火野は昭和13「糞尿譚」で第6回芥川賞をうけ、そののち「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」の三部作を発表し、朝日文化賞をうけ、戦記作家としての地位を築いた。敗戦後は追放の身となったが、解除されてからは精力的に「花と龍」などの北九州を舞台とした作品を書き、流行作家として活躍した。

 駐車場の突き当りを左にとり、屋敷森の角を右にとると、その先の左角地が額田百福(1890−1948)の住んでいた邸(阿佐ヶ谷北3丁目6)で、劇作家の額田は岡本綺堂門下、歌舞伎、新派、新国劇の戯曲を書いた。「天一坊」「白野弁十郎」などの脚本は当時人気となった。「刑事コロンボ」「刑事コジャック」など海外ドラマ吹き替え版の字幕翻訳家の額田やえ子(19272002)はその娘。

                                              田部重治旧宅附近

田部重治旧宅附近先の道むこうあたり(阿佐ヶ谷北3丁目5)には横光利一(1898−1947)が昭和2年頃に住んでいた。いまはすっかり変ってしのぶよすがもない。昭和のはじめ、「日輪」「蝿」などで、新感覚派の旗手としてデビュー、主要作品に「紋章」「家族会議」がある。ヨーロッパを舞台の長編小説「旅愁」10年に渉って書き続けられたが未完に終った。この道を天沼方面にしばらく行くと、上林曉(荻窪北口界隈で紹介)の旧居がある。

松山通りに戻って駅方面に進み、法仙院角を右に入った阿佐ヶ谷プラッツの奥にある区立阿佐ヶ谷西公園の近くに、英文学者であり山岳紀行文を書いた、田部重冶(18841972)の旧居(阿佐ヶ谷北2丁目21)がある。
 登山家木暮理太郎の影響で山に親しみはじめ、以後、北アルプス奥秩父など多くの山々を登り、山行紀行文を発表。「日本アルプスと秩父巡礼」「山と渓谷」「わが山旅五十年」などの名著は、いまも登山家のバイブルとされている。英文学者として、ワイルドの「獄中記」「ワーズワース詩集」などの名訳を遺した。

通りをすすみ書店のあるビル角(駅からは左手)を右折したまるや質店先に、新居格(にい・いたる、18881951)の終焉の地となった旧居(阿佐ヶ谷北2丁目35)がある。新居格は新聞記者をふりだしに文学評論、社会時評、風俗批評など多彩な文筆活動をして、戦後は初代の杉並区長となった。パール・バック「大地」の訳者でもある。

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